国民的文化作品リストは必要か?
新任のパリサ・リリエストランド文化大臣が土曜日のダーゲンス・ニュヘテルの一面に登場
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国民的文化作品リストは必要か?
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気候目標は、ほぼ達成できない
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27秒間の沈黙
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歴代環境大臣11人のプロテスト
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移民の求職活動でスウェーデン語能力がますます重要に
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映画批評の現在
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「国外に刑務所をつくるのはやめておけ」
国民的文化作品リストは必要か?
フランスでは、子どもたちは夏休みにフランスの古典作品を読み、デンマークでは2006年の右派政権当時の文化大臣のもとで、8つの文化カテゴリーから108のデンマークを代表する文化作品(Kulturkanon)が選ばれた。8つのカテゴリーとは建築、視覚芸術、デザイン・工芸、映画、文学、音楽、舞台芸術、児童文化で、この中に例えばアンデルセンの『人魚姫』や、ドナルドダックの漫画から『金のヘルメット』、映画では『バベットの晩餐会』や『ペレ』、そしてレゴもこの文化遺産の中に含まれている。
これをスウェーデンにもってくると、例えばグンナー・アスプルンド設計ののストックホルム市立図書館や、カール・ラーションの絵画や、ロイ・アンデションの映画『ある愛の物語』などが国民的文化作品として選ばれるのかもしれない。
SVTは、デンマークの作家で文化ジャーナリストでもあるNiels Frid-Nielsenにインタビューしていた。彼は、この国民的作品の選出には当時様々な激しい批判の声が上がったが、文化大臣の人気はあがるという結果になったこと、しかし時が経つにつれてこのリストは意味のないものになってしまい、いまではそんなに気にしているデンマーク人もいない、と話している。
選ばれた作品を解説したパンフレットには多くの選定委員が名を連ねており、スウェーデン新政府の提案にも、各分野の芸術的専門性に基づいて任命される専門委員会が国民的代表作品の提案を作成する、とある。
今のスウェーデンを代表する文化人の中には、このアイデアに非常に懐疑的な人も多いようだ。国立劇場ドラマーテンの制作責任者マティアス・アンデションは「これは文化や芸術に対する相当な知識を必要とする作業で、近年経験していないレベルの深い議論と複雑さを必要とするだろう」といい、うまくいくかどうかを疑問視する。
映画評論家のヤコブ・ルンドストレームは「本当にスウェーデンの文化史の重要性を真剣に考えるのであれば、象徴的なリストをつくるのではなく、たとえば映画の保存にもっと投資し観ることのできる機会を増やしたり、学校での映画鑑賞プログラムを充実するなどの必要がある」と主張する。
野党の社会民主党の文化担当スポークスマンは、これは安上がりな文化政策で、文化のための予算はかけずに、リストだけでお茶を濁そうとするもので、文化予算は大幅な削減を迫られるであろうことを指摘する。
私は、どの作品が自国を代表するレベルの芸術性をもっているかどうかは、わざわざ政治家が決めなくともみんなわかっているだろうと思うし、それぞれで違っていてもいいと思うのだが、どうだろう? 文化に税金を使うのであれば、過去の既に評価の定まった作品の間で優越をつけるためではなく、これからの文化を形作る若い文化従事者をサポートしたり、お金が行き渡るようにした方がいいとも思う。国民的文化遺産が決められていれば、学校で教えやすいのではという声もあるが、それは先生の裁量で取り上げるものを決めればいいレベルの話ではないのかな?
またこのように特定の作品を選ぶことは、多様性を尊重することの裏返しで、国家主義的な権威主義につながる危険性を指摘する寄稿記事もいくつか目にした。文化予算が削られ図書館がなくなっていく一方で、「スウェーデン人」の枠組みを文化面から推進していこうとする目論見が背後にあるという批判だ。
さて、この国民的文化作品を選出作業をリードしていく役目である、新任のパリサ・リリエストランド文化大臣は、カンヌで2度目のパルムドールを受賞したリューベン・エストルンド監督をつい先日「作家」といって話題になっていた人。ちょっと先が思いやられる。
「気候温暖化を1,5度以内に納めるという目標には到底達成できないようだ」というのが、COP27を前にした大方の見方らしい。世界中の指導者たちが気候目標を今すぐ抜本的に見直さないかぎり、今世紀末までに気温は3度上昇するようだ。
11月にエジプトで開催されるCOP27気候変動サミットを前に、参加する193カ国中、24カ国だけが、より厳しい気候変動目標を掲げた。評価できる目標を出したのインド、オーストリア、インドネシアなどだが、一方でロシア、メキシコ、中国などは目標達成することはできないだろうという分析もでている。
会議を前に提出された国連の進捗報告書の中での唯一の明るい話題は、これまで13.7%増加すると予想されていた2030年までの排出量の増加量の見込みが10.6%になったというもの。一方で世界気象機関(WMO)は2021年の温室効果ガスの大気中の濃度の上昇幅が測定開始以来最大となり、中でもメタンガスは驚くほど増加したと発表している。
これまで科学者たちは、気温が1.5度から2度上昇した場合どうなるか、という危険性に焦点をあててきたので、気温が3度上昇した場合に何が起こるかについて、信頼できる見解をもっていないそうだが、IPCCは「3度上昇すると、地球全体が居住不可能になる可能性があり、暑さにより水や電気の供給システムが崩壊し、各国の食料安全保障や医療が驚かされる可能性がある」との、起こりうるシナリオを提示している。
一ヶ月後に世界中の火山が爆発するとわかったらパニックになると思うけど、じんわり、でも確実にやってくるだろう大災害には私たちはうまく対応できないようである。
自身の給与を一気に30%近く昇給させる決議をしたノールテリエ市の市長が、その昇給の妥当性をカメラの前で記者に質問されたが、その後27秒にわたって沈黙し、答えることができなかった。
Resultatet när de nu styr kommunen, ökade arvoden med 27 %. KSO ökar sin lön från 87 000kr till 110 400kr
このような時、質問された人の脳ではなにが起きているのかを大学の研究者たちが解説していた。
ルンド大学の認知心理学のスヴェルケール・シークルトレーム教授は、これは認知的不調和と呼ばれる現象で、相反する2つの事柄に矛盾があることを露呈したものだという。例えば自己の利益が社会的モラルの反するような状態で、かつ自己利益の正当性を説明しようとする時に、脳がそれを処理するのに時間がかかるのだそう。
リンショーピング大学の行動科学のダニエル・ヴェストフィエル教授は、あまりのストレスの高さに「フリーズ」した可能性を指摘する。人間も動物も脅威にさらされた時、逃げようとしたり、反撃しようとしたりするが、それができないで、固まってしまうこともある。これは、脳内で周囲の状況を判断し、次になにをすべきかを判断するための時間を確保している状態なのだという。
その27秒後に、市長が何を言ったかというと「これはプライオリティの問題」。そしてその後は「考え直す」と発言している。
日本の政治家には都合の悪い質問が出そうな時、出たときには「逃げる」ということが許されているけれど、スウェーデンの政治家はなかなかその手は使いにくい。27秒間の沈黙がこうして公共放送で放送されるだけ、まだましなのかな😅
そういえばこの本読みたいと思ってまだ読めてない。
新政府の環境省を閉鎖するという決定は間違っていると、これまでに環境大臣を務めた11人がダーゲンス・ニュヘテルに共同で寄稿した。元環境大臣たちは「この環境省の閉鎖が、環境問題が今後優先されなくなることの始まりとなるのではないかと大いに憂慮している」と書いている。
新政権は環境省を廃止し、気候問題と経済問題を一緒にして、気候経済省という枠組みの中で環境問題を扱うことにした。元大臣たちは、今ほど気候・環境問題において大きな政治上のリーダーシップを必要としたことはなく、気候、環境にフォーカスした専門の省が存在することが非常に重要だという。
エネルギー・経済担当大臣で、新設された気候経済省のトップを務めるエッバ・ブッシュ大臣は「スウェーデンの高い気候目標は引き続き堅持される」と説明し、「スウェーデンは経済界によい条件を提供してビジネスと気候目標を結びつけることで、変革のパイオニアとしての位置を取り戻すことができる」と話す。
ブッシュ大臣は以前から、原発の再稼働と新設に取り組むことを宣言している。
元大臣たちは寄稿文で、1987年にスウェーデンに環境省が設立されてから、この省と大臣は国内政治への影響だけではなく、国連などでの交渉を通じて気候変動条約、生物多様性条約、アジェンダ21などの国際的な策定や、またEU内の環境政策へも大きな役割を果たしてきたと説明する。そして、ドイツでも経済問題と気候問題をひとつの部門で扱うことになったが、これは気候問題を考慮しない経済優先の政策をたてることはできないという考え方もので、今のスウェーデンの政権とは考え方が逆であると指摘する。
何十年もの間、スウェーデンは気候・環境政策において世界のロールモデルとして機能し、今でも多くの人々がスウェーデンを環境大国とみなし他国の環境政策にもポジティブな影響を与えてきたが、今それが失われつつあることを元大臣たちは深く憂慮する。
私も深く憂慮しています、というか、もうとても悲観的なのですが。
800人の雇用主に架空の求人票を評価してもらうという調査の結果、スウェーデンの労働市場では簡単な仕事であっても、スウェーデン語の知識がますます重要となってきていることがわかった。スウェーデン語ができなくてもつける仕事は今ではかなり少なくなってきている。
9月にスウェーデンのハローワーク、雇用サービス庁(Arbetsförmedlingen)に失業者として登録されていた人は33万3000人で、そのうち約半数の15万5000人はEU以外の国で生まれた人。またこの15万人の約半数の8万1000人が長い間仕事につくことができていない長期失業者である。
ストックホルム大学社会学研究所のダーン・オロフ・ルート教授らがこのほどまとめた「スウェーデン語ができることが、外国人求職者へ道をひらく」と題した研究報告者によると、12年前のスウェーデンではEU以外の移民の失業者全体に占める割合は20%を占めるに過ぎなかった。多くの人はスウェーデン語が必要をしない、単純労働や技能を必要をしない仕事につくことを望んでいるかもしれないが、そのような仕事はなくなってきていると教授は言う。
今回の調査は、言語学者と協力して、第二外国語としてのスウェーデン語能力を反映した典型的な架空の応募書類やインタビューの様子を撮影した動画をつくって、それを官庁や中小・大企業の採用担当者に観てもらい採用の評価してもらったもの。
結果では採用担当者のほぼ9割が、スウェーデン語の能力不足が採用時の障害となり、また8割以上がたとえ高い技能を必要としない仕事であっても、スウェーデン語の能力は職場において重要であると考えていることがわかった。
スウェーデンには移民に無料で基礎的なスウェーデン語を教えてくれるSFI(Svenska för Invandrare)という制度があるが、移民の多くはSFIを終了していないこともわかった。仕事につくには、多くはSFIのレベル以上のスウェーデン語が必要だが、SFIコースを終えていないと次のレベルの学校(Komvuxという名の成人教育機関)で学ぶこともできない。
今の新政府は、移民はいれたくない、できれば送り返したいと思っているので、今後滞在許可や国籍取得などの条件に、スウェーデン語能力を盛り込んでくることも十分考えられる。
どの言語も新しく学ぶのは大変だけど、努力はきっと報われると信じたい。私もここで20年以上暮らしていても、未だに何を言っているのか理解してもらえない時が多々あって、くじけるけど、へこたれずやっております。
カンヌ映画祭で2度めのパルムドール賞を受賞したルーベン・エストルンドの「トライアングル・オブ・サッドネス」がこの間から上映されているのだが、第一線の映画批評家が、変わりつつある映画批評家の役割と批評家と映画プロデューサーの関係について書いていた。
映画批評家のヤコブ・ルンドストロームは、これまでは批評家とアーティストの間には、不文律の距離が保たれていたのに、ルーベン・エストルンドの映画のプロデューサーのエリック・ヘッメンドルフは、映画のレビューに不満があるたびに「間抜け」と書かれたメッセージを彼に送りつけてくる、のだとか。
イングマール・ベリマンの時代からスウェーデンの批評家は、世界で絶賛されるスウェーデンの映画作家に厳しい。でも批評家の仕事は褒めることではなくて、まさに批評すること。ルンドストロームはエストルンドの映画は「評価が分かれる」というのが正しい位置づけだと思うと書いているのだが、まだまだ映画の批評は興行収入に響くので、絶賛される一方でこき下ろされると腹がたつというものなんとなくわかるが。
一方で、プロの批評そのものが世の中からどんどん消え去っていく。スウェーデンの通信社TTは年内で映画の批評記事の配信をやめることを発表していて、今後TTの配信をうけて記事を掲載していた地方紙などからは映画批評がなくなるはずだ。そのうちエストルンドのプロデューサーは批評家の声などまったく気にしなくなるかもしれない。一定に距離が保たれていた時代から、「間抜け」と一方的に文句を言われる時代を過ぎて、そのうちに「批評」そのものが消えてしまうのか?
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デンマークではすべて最高点の五つ星評価なのに、スウェーデンでは平凡な三ツ星評価が並ぶ様子をルーベン・エストルンド自身がインスタグラムにあげていて面白い。
これだけ国外と国内で評価が分かれるということは、エストルンドはまた一歩イングマール・ベリマンに近づいたということで、ここは一つ割り切って喜んでしまったらいかが?
デンマークは来年の1月からコソボにある刑務所に囚人を送ることにしたが、この計画は現在頓挫しており、関係者はスウェーデンに同様の計画はやめておいたほうがいいと警告している。スウェーデンでは新政府が「刑務所の収容場所不足を解消するために、近隣国で刑務所を借りることが可能かに関する調査を開始し、また海外へ強制送還を言い渡された囚人が使用するための恒久的な刑務所を国外につくることも検討開始する」と発表している。
デンマークは、国外退去令を受けた300人の囚人を、早ければ来年の第1四半期にコソボにあるジーラン刑務所に送ることをコソボと合意していた。国外退去となった囚人はまずコソボに送られ、そこから母国に強制送還されるというもので、囚人はコソボの刑務所でもデンマークの刑務所と同様の権利の元に刑に服することになる。これはデンマークでも刑務所の収容場所と職員が不足していることが背景としたもの。
計画は今年6月にデンマークの国会で承認され、来年頭にはコソボの刑務所はデンマークの基準へと改築され受刑者の医療や健康保険の問題が解決されて、コソボの職員の訓練も終わるはずだったが、計画は今中止されている。デンマークでは11月1日に国政選挙があるので、ここでなんらかの結論がでるのかもしれない。
近隣諸国での、二国間で刑務所の貸し借りの合意は今回が初めてではなく、ノルウェーは2015年〜2018年の間オランダの刑務所の収容場所を借りていたという事例がある。関係が終了した時に、当時のノルウェーの法務大臣は刑務所のレンタルは成功したと表明したが、市民オンブズマンの団体は、計画は人権を侵害しまた費用の無駄遣いであるという強く批判した。さらにはノルウェーとデンマークの計画では、オランダはEUの人権条約と国連の拷問禁止条約に拘束されているが、コソボはそうではないという大きな違いもある。
スウェーデンでは今後10年で、国内の刑務所の収容人数を3400人分増やして10,100人とする計画があり、そのうち2500人分が刑務所分、900人分が拘置所分となっている。これはこれから10年間でスウェーデンで犯罪が増加するという見通しにほかならないが、こういう計画って何をもとに数字をはじき出すのだろうか?
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